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特別展「三国志」Webレポート☆魏・蜀・呉をリアルに体感

2019年12月30日

第1章 曹操・劉備・孫権―英傑たちのルーツ

魏の基盤を作った曹操は、父祖伝来の勢力基盤を引き継ぎつつ漢王朝の中枢で実権を握り、動乱の時代に覇をとなえます。
蜀の劉備は漢後室の血統を自認し、漢王朝の復興を掲げた。
呉の孫権は海洋ネットワークを駆使して勢力を伸ばすなど、独自の路線を歩んだ。
後世に英傑とも称される彼らのルーツを、選び疲れた文物から読み解こう。

1-1 曹操の家系

権勢をふるった曹氏一族

曹操のの先祖は漢王朝の丞相であった曹参(そうしん)と伝えられています。
曹操の祖父である曹騰(そうとう)は宦官として権勢を振るい、その養子の曹嵩(そうすう)は大臣になっています。
曹嵩の息子である曹操はその財力や家系を背景に有力な武将をして名を上げ魏を建国します。

010 玉豚(ぎょくとん)

権勢をふるった曹氏一族玉製の豚。
貴人を葬るとき、死後の世界でも豚肉が食べられるようにとの願いを込めて手に握らせた。
本作が発見された墓は、曹操の父親である曹嵩と夫人が葬られたとする説が有力。

三国志展 玉豚

011 会稽曹君喪躯(かいけいそうくんそうく)

曹操一族の墓に用いられたレンガ地下に墓室を築くのに用いた磚(レンガ)で「会稽群(現浙江省一帯)の長官であった曹様の墓」という意味の文字を刻む。
曹操登場以前から、曹氏一族が高級官僚を送り出した有力豪族であったことを伝える。

三国志展 会稽曹君喪躯

012 人物画像磚(がぞうせん)

曹操一族の人物か曹氏一族の墓から発見された磚。
八の字形の髭を生やし、冠をか被り、袖の大きな着物を着た年配の男性の姿を巧みに描いている。
あるいは曹氏一族の一員を描いたものかも知れない。当時の服装がよくわかる。

三国志展 人物画像磚

拓本です。ピンボケしてしまいましたが人物像が分かりますか。

三国志展 人物画像磚
 

1-2 劉備の家系 

発掘された劉備の祖先

蜀王朝初代皇帝となった劉備(161~223)は、現在の河北省涿州市一帯の豪族の一員であった。
劉備の祖先は、前漢の武帝の異母兄弟である中山靖王劉勝と伝えられている。
劉備も後漢末に有力武将となり、関羽・張飛を部隊長とし、諸葛亮を参謀に加えて中国西南部に勢力を拡大した。
220年に曹丕が漢王朝を滅ぼして魏の皇帝となると、劉備は前漢王族の末裔である自分こそが漢王朝の正当な後継者であると主張して皇帝に即位した。
劉備の国は漢と自称していたが、「三国志」はこの地の歴史的地名である蜀を採用し、この名が今日まで広く用いられている。
劉備の死後、子の劉禅が皇位を継いだが、263年に劉禅が魏に降伏し、王朝は滅亡した。

013 玉装剣

劉備の祖と伝えられる中山靖王劉勝の銅剣美しく飾った宝剣であったと思われるが、鞘が腐って無くなり、青銅製の抜き身と鞘を飾った玉器2点だけが残る。
劉勝の時代に剣や刀が青銅製から鉄製に移行しつつあった。本作は青銅製宝剣の最後を飾る作品。

三国志展 玉装剣

三国志展 玉装剣

三国志展 玉装剣 玉器
玉器アップです
三国志展 玉装剣 玉器
玉装剣 玉器アップです。ピンボケすみません

014 壺

中山靖王劉勝の栄華を伝える蓋を伴う壺。
銅製で鍍金(金メッキ)し、ガラスをはめこむ。
現状はガラスに白濁した部分が多いが、本来は金色・銀色の地に華やかな緑色ガラスを配した豪華な容器であった。
中山靖王劉勝の栄華を伝える一品。

015 豹

貴人の触る敷物を押さえた同型のものが4点発見されている。
銅製で、斑点は金象嵌で、目は白瑪瑙を赤色顔料を含んだ接着材で貼り付けて表し、体の内部には鉛が詰められている。
貴人が座る敷物の四隅を押さえたものと考えられる。

目の色が左右異なりますね。これは古くなったからなのでしょうか?

三国志展 豹

1-3 孫権の家系 

孫氏一族と海洋ネットワーク

呉王朝初代皇帝となった孫権(182~252)の先祖は、戦国時代の有名な戦略家である孫子と伝えられている。
孫権の父の孫堅は。海賊退治で名を上げ、黄巾の乱以降は有力武将として勢力を広げたが、若くして戦死した。
長男の孫策が暗殺された後、弟である孫権が軍団を引き継ぎ、229年に中国東南部を支配する呉の皇帝となった。
孫氏は、現在の中国広東省や北ベトナムとの海上交易を掌握して築いた富により、勢力を拡大したものと考えられる。
魏・蜀・呉の三国の中で呉はもっとも長く続いたが、280年に晋(西晋)に滅ぼされ、これによって三国時代は終わりを告げた。

016 貨客船 「海のシルクロードと呉をつなぐ」

海のシルクロードと呉をつなぐ船首に波よけの壁が立つ。
なだらかな船底は浅い水域でも漕行可能。
沿海航路と河川の航行に向いたこの種の船は、珠江デルタを擁し南シナ海に面した広東・広西で発達。
呉の海洋進出と対外交易を支えた。

他の国と比べると、素朴な感じですね。

三国志展 貨客船

三国志展 貨客船
反対側から

次ページ<第2章 漢王朝の光と影>に続きます。

その他

Posted by kaze