特別展「三国志」Webレポート☆魏・蜀・呉をリアルに体感
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日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」が東京国立博物館で開催されています。
会期は2019年7月9日~9月16日まで。
三国志好きなので早速行ってきました。
(九州展は2019年10月1日~2020年1月5日まで)
夏休み期間なので平日とは言えそこそこ混んでいます。
切符売り場が駄目ですね。外国の方などは買い方が分からず一組でかなりの時間がかかっています。
サポート窓口などがあれば良いのではないでしょうか?
三国志展は左奥の平成館2Fで行われていますので、入館後すぐに2Fに向かいます。
2Fで音声ガイドを借りることが出来ます。
音声ガイドは吉川晃司がナビゲートするガイドと真・三國無双のバージョンがあります。
僕は吉川晃司版を借りましたが、真・三國無双ファンはそちらでも良いですね。
吉川晃司、渋くて良かったです。
本展示に限らず、音声ガイドは借りた方が良いです。何倍も展示会が楽しめます。
まだ借りたことが無い方は是非借りてみてください。
今回の展示会が斬新なところは館内の撮影がOKな点です。
皆さんスマートフォンでバシバシ撮影していました。展示会では異質ですね。
多分SNSにあげるのでしょう。
今回のブログもなるべく多くの写真で説明致します。
すべての展示をご紹介出来ませんので、気になった方は是非、展示会に足を伸ばしてください。
それでは展示会場に入って見ましょう。(説明の関係で実際の展示順とは前後している部分もあります)
※本記事は原稿用紙100枚を越える量があります。それぞれのページの先頭に下記のようなダイレクトジャンプを用意してありますのでご活用下さい。
長い記事ですので直接移動したい方はこちらから参照してくださいプロローグ 伝説の中の三国志
※本ブログ内での展示物の説明は、一部を除き展示会場内の説明文をそのまま利用させていただいています。
展示会場の説明文を利用させていただいた部分は下記のように記載します。
サブタイトルがないケースの説明分
サブタイトルサブタイトル付きの説明分
※展示品の年代などは巻末の目録に記載しています。
プロローグ 伝説の中の三国志
こちらは主に明/清時代の作品が展示されています。
すでに伝説となった彼らを後の世代の人々が描いています。
001 関羽像
しかし本象ではそういった神格表現は採用されておらず、造形は真に迫る。
伝世像屈指の「美関羽」である。
本エリアのメイン、圧巻です。関羽好きは多いのでイチコロですね。
よく見る関羽よりすっきりしていて美男子です。まさに「美関羽」。
002 孔明出山図
明時代の宮廷絵画に属する画風で、細やかな人物や馬の描写、勢いのある山水表現の背景がみどころである。
003 故事人物図
劉備が隠棲中の諸葛亮を訪ねた三顧草廬の故事を描くという説もある。
004 赤壁賦冊(せきへきふさつ) 「得意の行書で揮毫」
これは晩明の四大家の一人にあげられる張瑞図(ちょうずいと)が、前赤壁賦を得意の行書で揮毫(きごう)した作。
清新な筆法が異彩を放っている。
005 後赤壁図巻
この詩は後に文人書画家の好主題となる。
明時代の著名な文人・文微明(ぶんちょうめい)が書した「後赤壁賦」に陸治が図を補ったという作品。
006 関帝廟の壁画
劉備、張飛、関羽らが黄巾賊を破る場面、張飛が督郵を鞭打つ場面、関羽が兵書を読む場面、曹操が赤兎馬に乗った関羽に袍を与える場面などを活写する。
劉備拝謁す
黄巾を大破す
劉備・張飛・関羽らが黄巾賊を破る場面です。
関羽・程遠志を斬る
程遠志は黄巾賊の将。劉備率いる義勇軍と戦い関羽によって討ち取られます。
よく見ると程遠志の首が取れちゃってますね。( ・_・;)
張飛、督郵を鞭打つ
黄巾の乱での功績により劉備は県令に任命され善政を行っていました。
そこに現れた督郵(役人)が賄賂を要求します。激怒した張飛は督郵をボコボコにし劉備、関羽、張飛の3人はまた放浪の旅に出るのです。
実はボコボコにした張本人は劉備だったという説もあります。
曹操、覇橋で袍を進ず
曹操と関羽の別れのシーンです。
曹操の元を去る関羽を追いかけて覇陵橋で追いついた曹操より送られた袍を関羽は赤兎馬から下りず、青龍刀で受け取ります。
無礼と怒る部下たちをなだめ見送る曹操でした。
曹操は本当に関羽が好きだったのですね。
関羽。兵書を読む
007 関羽・張飛像
その恩を返し終えて主君劉備のもとへと戻る途中、義兄弟の張飛と再会を果たす。
張飛は関羽が敵に寝返ったと早合点し怒りをあらわにするも、のちに誤解がとけ関羽に悔い謝った。
建安5年(200年)、劉備と曹操が徐州で激突します。劉備は敗れ関羽は劉備の家族とともに曹操の捕虜となります。
曹操は関羽の武勇/人柄を高く評価、配下に加えようとしますがそのつもりが無いことを知ります。
曹操と袁紹が激突した白馬の戦いで敵の顔良を討ち取るなど功績を上げ、恩を返した関羽は曹操の元を去ります。
展示は関羽を裏切り者と誤解した張飛が誤解を謝っているシーンを再現。
写真右が関羽、怒ってますね~。
左が張飛、謝ってます
張飛のアップです。なんとも言えない愛嬌のある顔です。
関羽です。美関羽と比べるとあまり美しくないです。
関羽の有名な赤ら顔も再現されています。
008 趙雲像 「趙雲、劉備の子・阿斗を救出ー長阪坡の戦い」
先代劉表の客将として新野で曹操と対峙していた劉備は、劉琮の降伏により最前線で孤立します。
一時は曹操に対し優勢に戦いを進めますが、次第に押され新野を捨て江陵を目指します。
南下する劉備たちに新野より領民も伴ったため行軍がおくれ、遂に長阪で曹操軍に追いつかれます。
劉備は戦いの中で妻である糜夫人・甘夫人(側室)および嫡子の阿斗とはぐれてしまいます。
趙雲は、曹操軍へと単騎救出に向かいまず甘夫人を救出します。
さらに糜夫人、阿斗を助けに戻りますが糜夫人は重傷を負っており足手まといになると井戸に身を投げてしまいます。
趙雲は阿斗をふところに抱き無事劉備の元に届けます。
まさにそのシーンを再現しています。趙雲の胸元から阿斗が見えますね。
009 三国故事図
派手な色彩や拙いながらも生き生きとした人物描写に魅力がある。
大衆の間に広がった三国志の物語図像を伝える作品。
盤河の戦いにて趙雲が公孫瓚を救う
公孫瓚と袁紹の戦い「盤河の戦い」の一場面。
左の逃げているのが公孫瓚、右から追っているのが文醜。
公孫瓚があわやと言うとき助けに入ったのが趙雲です。
趙雲は公孫瓚の部下であったのですが、その後なぜか劉備と手と手を取り合うほどの仲になり最終的に劉備の部下になり長阪坡の戦いなどで大活躍します。
呂布、鳳儀亭で貂蝉と逢い董卓を怒らせる
貂蝉の育ての親である王允の仕掛けたハニートラップに引っ掛かった呂布と董卓。
とかく男性は美貌の女性に弱いですね。
貂蝉とは本名では無くテンの毛皮のかぶり物の事、このかぶり物をかぶり宮廷に仕えた女性を指す言葉だそう。
劉備に徐州を譲ろうとする陶謙
陶謙には二人の息子がいたから揉めますよね。どんなに馬鹿息子でも・・・。
差し詰め現代なら経営している会社と財産を赤の他人に譲るようなもんじゃないかな。
官渡の戦いで袁紹に勝利した曹操は沮授を処刑する
軍師である沮授の献策はことごとく袁紹に入れられず結局袁紹は曹操に敗北します。
曹操は旧知の仲である沮授の能力を高く評価、自軍に迎え入れようとするが、袁紹への忠義のため拒み脱走を図り、曹操の部下に処刑されます。
袁紹より敵である曹操に高く評価された悲劇の武将でした。
赤壁の戦いにて張允・蔡瑁を斬る曹操
赤壁の戦いの序盤、呉の周瑜の元に魏の蒋幹が曹操の命をうけて降伏を勧めに来ます。
周瑜はこれを逆手に一計を案じ、張允・蔡瑁が寝返ったように見せることに成功。
怒った曹操は二人を処刑してしまいます。あとから真実を知った曹操は・・・・
この話、実話では無く三国志演義の創作らしいです。
呉の軍営で病臥する周瑜に火攻めを説く諸葛亮
赤壁の戦いにおいて、龐統の仕掛けた「連環計」により魏の水軍は船同士を鎖でつなぎ動けないようにしていました
その後、魏軍に偽の降伏で潜り込んだ黄蓋の「火計」により鎖でつないだ船団は大炎上、呉の大勝利につながります。
その陰には、風向きが悪く「火計」に消極的であった周瑜に東南の風が吹く事を説き作戦を成功させる諸葛亮がいました。
曹操が西涼の馬超に追われる
「潼関の戦い」の1シーン。
馬超・韓遂の連合軍と曹操軍が潼関を挟んで対峙、曹操軍が渡河をした際、馬超により攻撃を受けた曹操は許褚らに守られながらなんとか渡河に成功。
その後、馬超と韓遂は「離間の計」により分裂、曹操軍の勝利となります。
渭水にて曹操を追撃する馬超、許褚が馬の鞍で矢を防ぐ
先ほどと同じ「潼関の戦い」の1シーン。
渭水を渡河中の曹操を馬超が弓で攻撃します。
功を争う黄忠と魏延
らく(各+隹)城責めの際、黄忠と魏延が先鋒を争うシーン。
結局、左右にわかれそれぞれ陣を持った。
天水関にて諸葛亮に降伏する姜維
姜維は涼州天水郡冀県の出身。
元は魏の武将であり蜀と戦っていたが、諸葛亮の「離間の計」にかかり敗北。
以降は蜀の武将として活躍します。
蜀軍の計略で包囲された司馬昭は、天に祈って甘泉を得る
司馬昭によって蜀は滅亡しました。
丁奉は計略を用いて孫琳を斬る
丁奉は孫権の時代から仕える呉の武将。
謀反を企てた孫琳を丁奉は祭事に呼び出し殺害します。
参考資料:年表/三国勢力図
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